転職前

プロフィール

関西の二流私大文系卒です。

文系なので花形はマスコミや広告代理店です。

しかしテレビ局やマスコミや広告代理店はエリートが進む業界です。

というわけで僕の学歴ではテレビ局の下請けとか、中小企業の広告代理店レベル。

そんなことがイヤで別にマスコミやテレビ局には拘らないようになりました。

で、僕が就職で誓ったこと。

住宅・食品・服など身のある物を営業しよう、ということでした。

半導体とか工業用部品とかそんなものは興味がないので、身の回りの業界ならまだ興味が持てるだろうと思いました。

で、決まったのはコピー機の営業。

よく怒られました。いや、毎日怒られました。

むかつきました。腹が立ちました。殺してやろうかと思いました。

当時はパワハラなんて言う言葉もなかったですし、インターネットもなかったです。

今と時代が違いました。

終身雇用制という言葉もまだ残ってましたし、非正規社員という雇用形態もなかったです。

自分の父親と同じように、昭和時代のように「根性」「忍耐」「努力」が大切だと思ってました。

社会とはこんなものだと洗脳されてました。

しかし、30歳になってさすがに耐えきれなくなりました。

その頃は「会社辞めてどうするんだ?」「就職がないぞ」「会社なんてどこも一緒だ」と色々言われました。

しかし、限界でした。

6年勤め退職しました。

原因はパワハラです。

で、元々好きな広告代理店に就職しました。

小さかったけど、好きな業界には行けたという満足感はありました。

パワハラからは脱却されましたが、しかし薄給、土曜日出勤。会社も安定しておらず。

で、退職。

因みにその会社は後に倒産しました。

広告業界と言っても新聞の枠売り。

やりがいはありませんでした。

その時にインターネットの時代が本格的に到来し、新聞広告などの紙媒体はオワコンになりました。

で、人材派遣会社に就職。

ここはまだまともでした。

しかし完全にホワイトということもなかったです。

いや、そもそもホワイトという会社があるのか、と。

給与も人間関係も「良好」と言うより、「まだマシかな」という程度でした。

35歳だったので、これが最後の転職にしょうと思いました。

一般的に「転職35歳限界説」はご承知の通り。

しかし、44歳の時、クビ、いや不当解雇。

その日1日は落ち込みましたが翌日になれば吹っ切れました。

元々上司とも合わなかったのでやれやれ感もありました。

で、資材会社の事務。

そこは半年くらいしかいなかったですが、とんでもないところでした。

はっきり言って大失敗でした。

パワハラも残業時間もえげつなかったです。

で、自主退職と言う名の不当解雇。

後に倒産しました。

こちらもクビにされてよかったです。

で、現在塾の教室長。

給与はや安いが初めてホワイトでした。

二十年間のリーマン生活で僕が言いたいこと。

一つ目。

一番ツライのは人間関係だと思います。

それだけは言えます。

給与・労働時間が最悪でも環境がよければ耐えれると思います。

ましてや今の時代、薄給でもインターネットで稼げますから。

二つ目。

最終的にブラック企業から脱出する方法は辞めるしかありません。

その会社でドーノコーノしようと思っても無理です。

でも次が「ホワイトかどうか」は分かりません。

運次第です。

三つ目。

40代の転職でもホワイトを見付かるということです。

希望はあります。